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エリートコーチを目指す本プログラム2年間の旅路を
修了生のみなさんに振り返っていただくと共に
​これからの「未来」について思いを綴っていただきました

修了生の旅路

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小林 可奈子 | 自転車 | 女性エリートコーチ育成プログラム

公益財団法人 日本自転車競技連盟

小林 可奈子
KANAKO KOBAYASHI

専門競技:自転車

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乾いた未舗装の道路

「エリートコーチを目指す2年間の旅路」
~他人を幸せにすること=自分が幸せになること〜

◯ 過去―個のから集団へ

1994年のお正月が過ぎたころ、私はアトランタオリンピック出場を目指して会社員からアスリートへ転身した。それまで勤めていた会社に大きな不満があった訳ではなかったが、「なんとなく」の人生から「必死に何かを目指し」生きようとしていた。そして幸せなことに、何年も積み上げてきたものがないまま、コーチも居ないまま、世界選手権、ワールドカップ、次々と高い目標を持って一人世界を渡り歩いた。

ところがそこで気づかされたのは、個としての限界。選手を支える力と国の力(メダル数)は比例するということ。

個で強くならなければならない、いつかそんな日本を変えたい、そう思っていた。

私は妊娠を機に、選手が生まれる土壌づくりを始めた。地元長野県安曇野市に「MTBクラブ安曇野」というクラブチームを立ち上げ、マウンテンバイクというスポーツの啓蒙活動に力を注いできた。そこでの15年間は人々の成長と私自身の成長、何より長女がオリンピックを目指し活動を開始、ますます私のコーチとしての高い資質が求められるようになっていた。

 

◯現在―集団から組織へ

昨年3月、私は自身のクラブとは異なる連盟組織のジュニアチームの合宿を任された。NFチームには具体的な「ビジョンや戦略」がなく、「人間関係の構築」から始める必要があった。これは単なるクラブチームとしての運営ではなく、組織改革が必要であることもすぐに理解した。そして「他者の文脈を読み取る」ということの難しさと大切さを知る。コロナ禍での合宿には賛否両論、参加できる選手とできない選手、ルールを作ったものの、不満があちこちに溢れた。

しかしながら合宿では高校生たちに「成長計画」を実施、それぞれがビジョンを持って前に進めるよう寄り添った。さらに競技の異なる選手たちを招集し、互いに理解を深め、共にチームとして学びあえる環境を作った。またこれまで培ってきた人脈の中で医科学分野の先生方にもご協力をお願いし、保護者に向けたメッセージも発信することができた。これがNF全体として一つの大きなビジョンの元に行われていたら、もっと実のあるものとなったに違いない。残念ながらNFチームはTOKYO2020大会で破綻。今も先は見えないままである。

この経験をもとに、私はビジョン達成に向けた環境作りを始めた。地元行政に働きかけ、「教育」「健康」「観光」という3つの柱を立て、マウンテンバイクというスポーツが人々のコミュニティになるのだということを訴え続けた。事業として動き出してからは、行政と業者、市民とボランティアを束ねて、7キロに及ぶマウンテンバイクコースおよび空間を創造した。「他者の文脈を読み取る」ことに努め、個としての考えよりも組織として前へ進むための思考に変えていった。

その結果、様々な問題がありながらも、力を貸してくれる人が周りに増えていった。共に夢を育もうとする仲間たちが手を差し伸べてくれた。もちろん、このプログラムに参加されている他競技のコーチたち、スタッフ、先生、メンターの方々がどれほど心の支えとなったことだろう。

プログラム開始当時は、「どうして私をわかってくれないのか?」そんな怒りが私を支配していた。けれどもここでの学びと素晴らしい方々との出会いで、私は大きく変わったと感じている。毎日起こる問題の数々、困難極まりない事柄にも、今では「どうしたら寄り添えるのだろうか?」「どうやったら相手を知ることができるだろうか?」そんな風に考えるようになった自分がいる。

先日静岡県のオリンピックパラリンピックレガシィイベントでマウンテンバイクコースを体験できるというイベントのお手伝いをさせていただいた。そこで私は聾唖の9歳の女の子を担当した。小さな自転車ではとてもチャレンジ出来ない、という認識を持っていた私は、レッスンの時間まで、安全確保のためにコースを走らない理由を探していた。ところが現れた女の子は、「私は今日オリンピックのコースを走ることができて大変うれしです」と手話であいさつをしてくれた。コーチとして最も難しい一面だった。そこでオリンピックコースの中でも数本あるラインについて、どのラインなら走れると思う?という質問を投げてみた。正直、彼女はあきらめると考えていたから。しかし彼女は大人の自転車でも難しい際どいラインを選択した。「私はこのラインを行ってみたいです」と。何の迷いもない彼女のリクエストに、私は最大限にわかるような見本を示し、スタッフ総出で彼女が転んでも抱きかかえられるような配置を行い、レッスンを続けた。結果、彼女はすべてのセクションを走ることができ、最後に「少し怖いところもあったけれど、本当に楽しかった」との言葉を残してくれた。

ゴールはコーチや周りが決めるのではなく、選手自身が決めるものなのだと改めて知る出来事だった。

こんな出会いも学びがあったからより深い意味のあるものになったのだと思える。

 

◯未来―マウンテンバイクというスポーツを通して様々な人が集い、学び、笑い合える、そんな社会を築きたい

この4月23日にオープンする安曇野マウンテンバイクコースは、市民であるボランティアが舵を取って、行政が共に歩みを進めてきた全国でも珍しい形の施設となる。まずはこれまで支えてきたボランティアと将来持続可能な施設とするため、組織を作り100年先にも子供たちが笑い合える空間を創造していく。そのためには行政に市民の想いを届けるだけでなく、市民にとってのメリットを共に考え、新しい視点から新しい街づくりを進めていく必要がある。

さらにスポーツには人々の夢を重ねられるという効果もある。安曇野市が元気になるために、マウンテンバイクコースで選手育成やチーム運営、地方から選手を輩出できるシステムを作る。

学校へ行けない子供たちが増え続ける中、そのリハビリ的な存在として、マウンテンバイクコース周辺の空間は有効であり、野外保育や高齢者の健康増進のためのハイキングルートも年度を追って建設したいと考えている。

日本の荒れた里山にマウンテンバイクスポーツを器として人々が集い、笑い合い、それが何年先にも存在し続ける、そんな環境づくりをこれからも進めていきたい。

 

最後に、私にとっての「エリートコーチ」とは、を考えてみた。

多くの人を幸せにできる人。そして自分自身も幸せに生きられる人。

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